指定課題研究報告
高野幸路 (東京大学医学部腎臓内分泌内科) 置村康彦 (神戸大学医学部保健学科) 田原重志 (日本医科大学脳神経外科)
成人成長ホルモン分泌不全症では、体組成、脂質プロファイル、骨密度の低下等の身体面での異常、生命予後の悪化とともに、QOLの著しい低下が患者を苦しめる。欧米からの報告では、成長ホルモン補充療法によって身体的異常とともに、生命予後の悪化も改善し、QOL についても改善が認められることが明らかになっている。わが国においても第3相の臨床試験により重症成人成長ホルモン分泌不全症にたいして成長ホルモン療法が体組成、脂質プロファイルの改善をもたらすことが示され、承認されるに至った。以来、わが国でも多くの患者が補充療法の恩恵に浴するようになってきている。ところが我が国の第3相臨床試験では、体組成、脂質プロファイルに対する良好な効果が認められたものの、QOLについては有意な効果を認めることができなかった。これは、欧米での成績と異なる部分でもあり、また日常臨床における経験とも異なる結果である。治療を受けている患者からの報告や、主治医の観察からは、多くの患者さんで有意な生活の質の改善が示されている。実臨床においてQOLの改善は、患者の治療継続の重要な動機になっている。日本の重症成人成長ホルモン分泌不全症の患者において成長ホルモン補充療法がQOLの改善をもたらすのかを客観的に示すことができるかどうかは、今後より多くの患者が成長ホルモン補充の恩恵を受けることになるか否かを左右する重要な問題である。
背景・目的
欧米の成績や実臨床での体験と異なり、日本の第3相臨床試験で補充療法によるQOLの改善が認められなかった原因としてはいくつかの可能性が考えられる。欧米で開発され、治験で用いられたQol-AGDAやSF-36などのQOL質問紙が、日本人の特性にあっておらず、効果を捉えきれていない可能性や、これらの質問紙が疾患特異性に乏しい可能性などである。このような考えに基づき、日本人の間脳下垂体疾患患者のQOLを、疾患特異に感度良く捉えるために(J)AHQ質問表が開発された。本研究では、このAHQ質問表を用いて日本人の成人成長ホルモン分泌不全症(重症型)の患者さんのQOLを成長ホルモン補充療法前後で調べ、治療前の状態の評価を行うとともに、補充療法によるQOLの改善が観察されるかを明らかにするものである。なお、(J)AHQとして開発されているQOL質問表の名称変更(AHQ)にあわせ、本報告書においてはAHQと表記している。
研究は、各施設の倫理委員会での承認を得て行った。アンケート調査の施行と利用は患者さんから書面によるインフォームドコンセントを得たうえで行った。対象は、下垂体機能低下症の確定診断がなされている合計97名で、この中に成人成長ホルモン分泌不全症であることがGHRP負荷試験で証明された例が30名、成長ホルモン分泌不全のない症例が67名であった。これらの患者に対しAHQ質問紙を用いたQOLアンケートを行った。成長ホルモン補充療法を受けた患者7名について。治療前後のQOLスコアを比較した。
対象・方法
アンケートは、外来受診時にアンケート用紙を手渡しし数日以内に記入、事務局に郵送することで行った。
AHQには、心理・社会関連領域と症状関連領域の2つの主要領域があり、この下に下位領域が存在する。
検定には主要2領域の変化、下位領域の変化ともにウィルコクソンの符号付順位検定を用いた。
結果
1.重症成長ホルモン分泌不全の有無によるQOLの差
AHQ質問紙を用いたQOLについて、重症成長ホルモン分泌不全の有無によってQOLに差が認められるかを検定した。重症成長ホルモン分泌不全を認める30例では心理・社会領域で119.1 ± 30.7であり、症状領域では151.7 ± 36.1であり、重症GH分泌不全を認めない67例については心理・社会領域で110.8 ± 46.6であり、症状領域では139.7 ± 43.9であった(図1)。重症成長ホルモン分泌不全のある症例の法がQOL scoreが全体として低かったが有意差は認めなかった。
2.AHQの主要2領域の変化
AHQの主要2領域について治療前後を調べた。心理・社会関連領域について、治療前は91.3 ± 44.3 治療後は 143.3 ± 27.8 で治療前後の変化量は 52.0 ± 12.8と有意で大きな改善を認めた。症状関連では、治療前が126.1 ± 80.1 治療後は 169.7 ± 48.1 で治療前後の変化量は 43.6 ± 11.4 とこれも有意で大きい改善を認めた。少数例においてもこのような有意差を示したことから、AHQによるQOL評価表が日本人の成人成長ホルモン分泌不全症のQOLと治療による変化を評価するのに有効であることが示された(図2)。
3.心理・社会関連領域で想定される下位領域の変化
下位領域として、うつ気分、社会活動の制限、気力、日常生活・睡眠、将来・治療への不安が分けられているが、これらの詳細をみると、うつ気分で治療前が24.6 ± 13.3、治療後が39.1 ± 9.7、社会活動の制限で治療前が23.6 ± 14.6、治療後が36.1 ± 4.8、気力で治療前が11.1 ± 7.5、治療後が20.0 ± 8.7、日常生活・睡眠で治療前が15.7 ± 10.0、治療後が27.4 ± 9.5、将来・治療への不安で治療前が16.4 ± 6.2、治療後が20.6 ± 5.9といずれの下位領域においても有意な改善を認めた(図3)。
4.症状関連で想定される下位領域の変化
下位領域として、体温調節、全般(ACTH)、視床下部障害、尿量調節、皮膚・毛髪、体重、性的関心が分けられているが、これらの詳細をみると、体温調節で治療前が25.1 ± 15.0、治療後が31.6 ± 12.5、全般(ACTH)で治療前が20.4 ± 12.4、治療後が30.0 ± 7.4、視床下部障害で治療前が26.1 ± 10.4、治療後が37.4 ± 6.5、尿量調節で治療前が16.9 ± 6.9、治療後が18.1 ± 6.0、皮膚・毛髪で治療前が20.4 ± 12.1、治療後が27.3 ± 8.4、体重で治療前が10.9 ± 6.4、治療後が16.9 ± 11.0、性的関心で治療前が6.3 ± 4.1、治療後が8.4 ± 3.0と体重、性的関心以外の多くの下位領域において有意な改善を認めた(図4)。
本研究において成長ホルモン治療前後でQOLの評価が可能であったのは少数例であったが、少数例であったにもかかわらずこのような有意差が認められた。このことは日本人の成人成長ホルモン分泌不全症のQOL評価とその成長ホルモン補充療法による変化を評価する上で、AHQ評価表によるQOL評価が有効であることを示唆している。心理・社会関連領域と症状関連領域の二つと、それらの下位領域においてもほとんどの領域において有意で大きい改善を認めた。これまでの、QOL-AGHDAやSF-36で評価できなかった成長ホルモン補充療法によるQOLの改善をあきらかにできたことは重要な結果である。
考察
一方で重症成長ホルモン分泌不全の有無でQOL scoreを比較すると成長ホルモン分泌不全のある場合のほうがQOL scoreが低いものの有意差は認められなかった。この点については、重症成長ホルモン分泌不全の患者がQOL低下状態に慣れているためにQOLの低下を自覚できていない可能性を示唆するものであり、今後の検討が必要である。
今後の課題としては、
1. 症例数を増やして研究の信頼性を増す。 2. 今回の報告では経時的なQOL scoreの変化については治療例のみの結果を解析した。しかし研究当初から非治療群のQOLを経時的に計測しており、症例数が十分集まったところでこのようなコントロールと治療群の差を解析する。 3. 今回対象となった症例は成人発症例がほとんどであったが、小児期発症例においても成長ホルモン補充でQOLの改善が生じるかを明らかにすることが必要である。